「塵も積もれば山となる」は本当か?
「塵も積もれば山となる」ということわざがあります。
毎日コツコツとやっていれば、いずれ大きな結果になることを示したこのことわざですが、果たしてこれは、どこまで本当なのでしょうか。
今回は心理学的知見をもとに考えてみたいと思います。
複利の魔法:学習曲線
その昔、アインシュタインは「複利は人類最大の発明」と言ったそうですが、たしかに複利の力はパワフルです。
例えばお金を毎年2%の利率で10万円預けたとしましょう。最初は増え方もゆっくりですが、時間が立つにつれて増え幅も大きくなり、雪だるま式にどんどんお金が増えていきます。
これと同じことが学習でもおこります。
もし1日1%ずつ成長できたら、365日では、最初のうちは成長はゆっくりでも、最後の方にはおそらく別人のような能力を手に入れていることになります。
このように成長できれば素晴らしいとは思うのですが、人間は数学とは違って有限です。
人間がいくら練習しても100mを2秒で走るのは難しく、1冊の本を10秒で読むのも難しく、そこには成長の限界というものがあります。こういったこともあり、成長ペースはだんだんゆるくなり最後は平坦になってしまうことが知られています。
このような成長の軌跡は、心理学分野で学習曲線と呼ばれるS字型の曲線として示されます。
この学習曲線は確かに山のような形をしており、「塵も積もれば山となる」というのは、どうやら間違いではないようです。とはいえ、成長が立ち上がるまでにはだいぶ時間もかかり、じれったいと思う人も多いかもしれません。
この立ち上がりまでの時間をショートカットする方法というのはあるのでしょうか。
失敗が学習を加速する?
学習曲線を示した代表的なものに葉巻たばこの研究があります。
これは葉巻工場でどれだけ練習すると葉巻が早く負けるようになるのかを調べたもので、その結果からはきれいなS字型の学習曲線が示されています。とはいえ、私達の学習は葉巻作業とは違います。
葉巻であれば、正しい巻き方を正解として学んでいきますが、私達は多くの場合、失敗と成功の両方から学んで成長していきます。では先に示した学習曲線に失敗の要素を入れるとどうなるのでしょうか。
ある研究では、失敗から学ぶ割合と成長曲線の関係について調べています。結果を見てみると、興味深いことに、失敗から学ぶ割合が増えると成長の立ち上がりが早くなることが示されています(緑・赤)。
さらに興味深いことに、失敗だけから学んだ場合は成長の立ち上がりは早いものの最終的なパフォーマンスは低いこと(青)も示されています。
失敗は良いのですが、正解を知らず独力だけで学習すると成長の天井が低くなる可能性もあるかもしれません。
まとめ
このように数学的にも心理学的にも「塵も積もれば山となる」は本当のようですが、これをまとめると以下のようになります。
・学習の積み重ねで成長は加速する。
・成長の立ち上がりまでは時間がかかる。
・失敗することで成長の立ち上がりを早めることが出来る。
塵も積もれば山となる、というのは、本当のようです。
しかも失敗することで成長の立ち上がりも早めることが出来るようです。ひょっとしたら、あなたは今、失敗を恐れて塵を積むことに躊躇しているかもしれません。
しかし失敗は成長を加速させるエンジンです。失敗を恐れているということは、実はそれだけ成長の可能性があるということにもなります。
思い立ったが吉日、今日は一つ人生に塵を積み上げてみましょう!
【参考文献】
・Crossman, Edward RFW. “A theory of the acquisition of speed-skill∗.” Ergonomics 2.2 (1959): 153-166.
・Leibowitz, Nathaniel, et al. “The exponential learning equation as a function of successful trials results in sigmoid performance.” Journal of Mathematical Psychology 54.3 (2010): 338-340.
【シュガー先生 プロフィール】
本名:佐藤洋平(さとう ようへい)
脳科学専門のコンサルティング業務を行うオフィスワンダリングマインド代表。理学療法士。現在富山大学医学博士課程にて心と体の関係についての研究を行う。
日本最大級の脳科学ブログである「脳科学 心理学 リハビリテーション」にて、ヒトとはなにか、をテーマに脳科学を超えて学際的な立場から記事を執筆中。
趣味は料理、人間観察、読書(人間に関するものであれば社会学から哲学、経済学まで全般)、語学(フランス語)。
屋号のオフィスワンダリングマインドは、心理学のmind wandering(心のお散歩、ぼんやり頭、ひらめきの源泉)に由来。